こんばんは、しほみんです。
皆さんは人の立場になって物事を考えることはありますか?私はなかなかできないで苦労しています。そんな中でも貧困については特にその傾向があると思います。今日はそんなところを考えてみようと思います。
今日の見出しです。
1. 貧困を実感しているときと貧困を想像するのは違う。
2. 貧困をなくすには国への働きかけが必要。
1. 貧困を実感しているときと貧困を想像するのは違う。
貧困を想像するのと実感するのは大きく違うと考えています。
先日そういうことを実感することがありました。研修でのシミュレーションゲームでの出来事です。
<シミュレーションゲーム内容>
チームに分かれて、それぞれがある国の所属になります。目的はそれぞれの国の中で一番お金持ちになることです。交易をしつつ、物を作り出してお金を稼いでいきます。ただし、国ごとに初期条件が異なります。最初から作る準備が整っている国もあれば、ほぼ何にも持っていない国もあります。作るモノは一般的な図形なので、紙、鉛筆、定規やコンパス、はさみやカッターで製作可能です。
要するに不平等な状態で、頑張らないとなりません。この時、自分はかなり貧困な国を選んで挑戦しました。
実際始めてみると本当に貧困でした。紙と鉛筆しかなかったのです。ほかの国(チーム)は、はさみやカッター、定規などを持っている中です。他国に交渉して手に入れる必要があったのですが貧困すぎて売るのができない状態でした(というか結局どこも何にも交渉に応じてくれなかったです)。
結局、自分たちはもう一つの貧困国と結託して、モノづくりをしました。結託すればちょうど上記のものがそろってモノづくりできます。
このあと、もし自分の国だったらどうやって勝つか?みたいなことを考えましたが、結構できそうな意見が出てきますし、そうすればよかったなって納得します。でもそれは実際に貧困になっていない側がもっと選択肢を幅広く見れる状態だったから思いつくだけです。
実際、自分たちの状態じゃ何も思いつきませんでした。だって、紙と鉛筆だけじゃ何もできないし、物もあまりにもしょぼく、視野が狭くなってしまい、思考が停止しました、というか頭回らなさ過ぎてしばらくあっけに取られていました。やっぱ何もなさすぎると全然ダメなんですよ。
このように、実際に味わっている貧困と考えてみた貧困の状態って大きく乖離しているなって感じました。だから貧困ほど想像で物事は語ってはいけないと思います。
2. 貧困をなくすには国への働きかけが必要。
この貧困の考え方ですが、直接今の日本の状態を考えることができます。
日本って自己責任論ですべてを片付けようとしますが、これも貧困を想像で片づけているから起こっている現象です。本当に困っている人はマジで何も考えられなくなっていると思います。だからまず貧困に対する誤解を解く必要があります。
さらに貧困になると考えられることが極めて減るので、それに対する支援は必須です。それが国ということになるのですが、日本では国も貧困に対する理解はしょぼいなって感じます。
というのも官僚は東大卒などの高学歴が多く、そういう人は少なくとも貧困とは無縁です。国会議員も親から継いでいるなどが多く、貧困とはやはり無縁でしょう。そんな人たちが貧困に対して考えられるとは思えません。
それでも貧困を是正できるのは国でしかないです。どうしても国以外だと限界があります。なので、せめて国には常に貧困に対する是正を示していかないとなりません。理解はされないでしょうがとにかく政策をやらせることが大事です。
もっと国も国民も貧困に対して優しくなってほしいのですがそうはいかないみたいです。日本はいつの間にかそういう厳しい国になってしまったのかわかりませんが、これ以上日本の貧困を広めても日本全体の首を絞めるだけなのでもっと是正していってほしいです。
今日はここまで。ではでは。