おはようございます。しほみんです。
まあ、私もなかなか変な人で、お金とはとか考えてしまうタイプです。
一人で考えているときから、お金はモノじゃないよなあって気がしているのです。
だって、お金がもしモノなら、なんかそのモノ自体に役割っていうのが存在して何かを担っているはずですなのですが、その役割っていうのがない....この役割っていうのが難しいですが、モノというのはたとえ1人でも使うことで何かしらの役割を果たします。
例えば、果物は食べて栄養になりますし、ナイフは切るということができます。一方お金はあっても、何にもなりません。燃料になるかもしれませんが、それは紙屑としてのモノなのでお金としての役割ではありません。
お金は所詮モノやサービスを受け取るために渡すもの、モノやサービスを提供したときに受け取るモノでしかない。ただ、これは2人以上いないと成り立たないという前提があるとすると、それはモノとは区別すべきです。
ということで、お金はモノ的におもうのは違うなと感じていますが、2人以上がいるととてもモノ的なふるまいをするのでとても厄介です。
確かに、物々交換的に考えると完全にお金はモノになります。となると、このお金はモノであるという考え方自体もある意味正しくみえます。
ただ、もしお金がモノであるとしたとき、それはお金というような区別はいらないんじゃないかと思っています。だって、それは貝殻でもいいですし、みかんでもいいし、サンマでもいいわけです。それらはお金はとは呼ばずに、それぞれの名前で呼びますよね?
だから、お金というのはモノの名称と考えられない以上、お金はモノじゃないってなるのかなって感じです。
で、そうなると、お金はモノではなく、なんなのかですが、物々交換的なことをかんがえていても一生生まれません。だって、物々交換的世界ではお金というモノにはならんから(いやお金の由来自体金からきてそうだから、モノとしてみてたかもしれんが)。
では、どんな時生まれるかというと、モノを受け取る際に、渡すものがないとき、代わりに未来に渡しますっていう貸借関係の証書を渡すときです。これは物々交換を時差的にとらえたものなのですが、この時差が生じるとき、はじめてこの貸借関係の証書が出ます。これがお金と考えるのです。
少なくとも今の会計的、株式会社的には間違いなくこの考えです。だから、こっちの方がしっくりきて正しいなって気がしてます。
最後に...
まあこの話で何が言いたかったかというと、お金はモノか貸借関係かどうかってなかなかわからんものだなあという感じですが、自分はあくまで貸借関係の証書としてとらえているのが私の意見です(何度も言いますが、これがMMTのおおもとのはずです)。
ただ、非常にモノっぽくふるまうのでとても紛らわしくモノととらえてもおかしくない気がします。現に日本は多くの人がそう思っていますし。
それでも、お金というのを再度とらえなおしてみると、政策は明らかに不思議なことしているのでちょっと見方を変えてみてほしいです。
ではでは。