こんばんは、しほみんです。
最近読んでくださる読者も増えていっているので自己紹介をします。自分の話をすることはなぜ自分がこのような思考に至っているかを説明できるいい機会です。
今までの自己紹介は、最後にリンクを貼っておくのでもしよかったら見てください。その1が総括的な話、その2が学歴とかの話、その3が高校までの話です。
今日は大学院の話をしようかなと思います。大学院の話ってあまり聞くこともないと思います。自分としては複雑な心境を抱えたまま進学して卒業したので思い出は多いです。適宜話していきたいなと思います。
今日の見出しです。
1. 大学院は研究を行っていたという話。
2. 孤立してしまっていた話。
3. 博士を諦めてメーカーに行くことした話。
1. 大学院は研究を行っていた話。
大学院では主に物質科学の物理化学の研究をしてました。あんまりいうとバレるので細かくは言いませんがずっと物質の構造解析を行っていました。
幸い、修論で書いた内容は卒業後に世界的にそこそこ有名な雑誌に論文として出すことができていたので、大学院生としては十分生活はできていたのかなと思います。
大学院って大学のその上なんだなーぐらいの認識しかないかもしれません。だからまだ勉強するのかとかそういう認識はあると思いますが、それは違います。大学院は研究機関で、そこの生徒というのはお金を払って研究のノウハウを培って、将来新たなものを想像するような求められます。つまり、今までの勉強とは話が違います。
今までの勉強は与えられた問題から正解を見つけたり、最適なことを決めることがメインでした。そうではなく、大学院での研究はまだ解かれていない課題をどう解決するかどう説明するかを提示することです。
なので、大学院ではかなり未知の問題解決能力が身に付いたって感じです。
大学と大学院の違いをそう考えると大卒と大学院卒は違う能力を持って卒業しているので比較は結構ナンセンスなんじゃないかなとは思います。
2. 孤立してしまった話。
単純に言えばマジで誰も気軽に話せる人がおらず一人ぼっちだったって話です。
その1.親との半絶縁、お金がなかった
大学院ってはっきり言って多くの人は必要ありません。なぜならそういう能力を必要とされている人はあまり多くいないから。どちらかといえば勉強ができる人のほうが社会的には需要があります。
僕の親もそういう質の人で、大学院に行くことにあまり理解がなかったです。ただ、自分としては研究をやりたかったので、親に反対をされたのを無視して進学しました。ここで親とは喧嘩して半絶縁状態になりました(今ではなんとか再び取り持ってはいます)。半絶縁とはいえ、親がいないとなんだかんだ大学院進学は難しかったことがあるのでそこは感謝してます(奨学金貸与と家を借りるのは保証人が必要だった)。
親との喧嘩の結果、経済的に独立して一人暮らしを始め、それで修士まで出るということになりました。
ただ、学生の自分で持ってたお金なんて本当少なく、数十万の貯金と奨学金と年103万以下のバイトで大学院2年間の生活を全部賄っていました。このときは学費、家賃、光熱費合わせて月11万ぐらいを含めて月15~17万程度の生活をしてました(このときの金銭状況もどこかで話したいですね)。
このおかげで、お金を使えるありがたみを感じたりとか節約思考とかになった気がします。金は命より重いです。命より軽くするには工夫が必要です。
その2. 彼女とも別れてしまった。
とまあこんな感じで親と喧嘩して修士に行ってしまったので将来ビジョンはゼロでした。修士は社会から求められるものが違うので、将来性は未知数です。
しかもお金もなくて本当に人と関わる気力を失っていました。お金がないのだからデートなんてまともにできるわけないです。
そんな自分の将来性のなさと生活の困窮からとても付き合える状況じゃなくて別れてしまいました。
それで気がつく自分のも愚かですが、会話の多くを彼女に依存していたので、マジで会話できる人がいなくなりました。ここらへんから孤独すぎて鬱っぽかったです。
金も将来性もないと大切な人は守れないですし失うことをやはり痛感したときでした。
その3. 大学院でも孤立していた時期があった
まあそんなプライベートがクソみたいな状態だと生活なんていいはずもなくて…
なかなか朝も起きられず、昼から大学行ったり、セミナーとかも寝てたりとか態度が悪かったので孤立気味でした。このトリプルパンチで一時期全く人と会話できてなかったです。
まあそれでも周りの人は心配してくれる人が多く、めっちゃ怒られながらもなんとかそこは改善できました。修士2年になるぐらいには立ち直っていったので良かったのですがそれまでは自暴自棄でしたね…
今も若干生活態度はクソですが自分にとって良い環境にいるのは大事だなあと改めて感じています。
3. 博士をあきらめてメーカーに行くことにした話。
まあ、そんな感じで人と孤立してお金もなかったらもう博士とかいうさらにお金のかかるところになんて行けるわけもなく...断念しました。あと、研究って役に立つ部分が一部の知識人だけで、実際に一般人に活用されるのはまだ先です。自分の知識がそこまで閉鎖的なところもちょっと嫌になっていました。
で、修士で就活をしました。最初に言ったように大学院に行ったからには、大学院でやれることをしたいということで、メーカーに行くことにしました。メーカーであれば、自分の持っている知識を活用して、いろいろな人の生活を助けるものが作れるし、待遇も悪くなく、自分にとって一番頑張れる環境な気がしたからです。まあ、おおむね満足ですが、今思えば、もっと年収を重視してもよかったのかもしれません。
とまあこんな大学院生活を経てメーカーに行っているので、自分はいろいろ思うことは多い感じがします。でもまあ、少なくともこの大学院生活がなければ、このブログも始めていないし、セミリタイアとかそんな思想にもなってはいないと感じです。
こんな人間もいると知ってもらえれば幸いです。
ではでは。
以下自己紹介のリンクです。