おはようございます。しほみんです。
なんかきれいごとばっかり最近聞いている気がしてて、いやいやしているところです。弱者救済と謳いながら自己責任を押し付けた行動をしてたり....(お金が稼げないことを責めるなど)
弱者救済をしたいなら、行動すべきはすべての人に成果を関係なくお金を渡すことをすべきです。そもそもお金を渡す理由は、価値のあるサービスを提供したかどうかではないです。自分が何を受けたかです。どんなひどいサービスでも受けた以上一定の対価を払うべきです。
だってこうやってサービスに対して対価を回していくことが基本になれば、能力的にも恵まれない弱者たちはサービス提供が容易になるために、生存がしやすくなります。お金を得やすくする社会になれば、こういうこと自体そもそも問題として起こりにくくなるはずです。
だから、弱者救済に対してやるべきなのは、お金の循環を良くして経済発展をさせるようにするのがいいと思うのです。社会に余力があれば、弱者は救済できます。そしてお金に任せるのでリスキーですがシンプルです。
ただ、正直これはかなり受け入れにくい考えだと思います。だって、誰だって損したいとは思わないし、できれば対価以上の価値を得たいものです。そして、弱者は追い出したいものなのです。
この部分が難しいところですね。
最後に....
結局、弱者救済したいなら言論とかじゃなくて、サービス提供されたら(そのサービスがたとえ無価値でも)きちんと対価を渡すことが大事だと思います。
こうやって、なんとなく経済にかかわらせるそして、経済の中できちんと評価をしてあげるのが大事なのかなと思います。
ではでは。